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金沢和子の活動日記

  • 使えないトイレの写真です!!
    金沢和子の活動を写真で紹介しています。写真として残ることは少ないのですが、写真のあるものは、随時、掲載する予定です。

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記念講演「在韓被爆者の手記をまとめて」に参加して

千葉県アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会の機関紙に、記事を投稿しました。
以下は、投稿した文章(一部、誤字を修正)です。

20160806

NPO法人高麗博物館の主催で、詩人の石川逸子さんを講師に、
「在韓被爆者の手記をまとめて」という講演が行われました。
演題の「在韓被爆者」という言葉に関心を持ったこと、
そして、石川さんには知人を通じてお世話になったことがあり、
お礼もかねて、参加させていただきました。

 日本で被爆し現在の韓国に帰国した被爆者、
いわゆる在韓被爆者は約2万3千人と言われています。
石川さんは、勤務先の中学校で広島へ修学旅行に言った際、
翠町中との交流で、朝鮮人生徒の存在を知りました。

(翠町中では、倉庫の中から翠町中の前身である市立第三国民学校の
「戦災者児童学籍簿」が見つかったことをきっかけに、被爆の実態を調査し、
1980年に冊子「空白の学籍簿」を作成しました。)

 1957年、日本では「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」(原爆医療法)施行され、
被爆者健康手帳の交付が開始されましたが、朝鮮人被爆者への支援は行われないままでした。
日本が海外からの被爆者健康手帳の申請を認めたのは、2005年のことです。

 石川さんは、帰国後の在韓被爆者たちの実態や、
日本でも取り組まれていた在韓被爆者たちの支援運動などを知らせる
ミニ通信「ヒロシマ・ナガサキを考える」を発行してきました。
講演では、韓国の人たちにとって原爆は良いことで、
被爆者に対する理解を得られない状況だったことや、
帰国者には「日帝の協力者」、「伝染病にかかっている」などの差別を受け続けたことが紹介されました。

20160806_2

 在韓被爆者の苦しみをお聞きする中で、私自身は、
戦争の無い平和な国際社会の実現と核兵器廃絶の運動で、
日本と韓国との共同の可能性を感じるような思いがしたのですが・・・。

 でも。
参加者や、主催者側の発言には、
「日本人、一人ひとりに加害責任を認識してもらう」との趣旨を強く感じました。
辛辣な発言が続き、無知な私こそが加害者であると責められ、
共同の可能性を否定されてしまったような、そんな印象が強くのこりました。

 日本人として、日本政府の加害責任と向き合うことは、辛くても乗り越えなければならないと思います。
そのためにも、足を運んだ講演会でした。
そして、石川さん自身が、その辛さを乗り越えて活動されていることに、非常に敬意を表したいと思います。

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