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金沢和子の活動日記

  • 使えないトイレの写真です!!
    金沢和子の活動を写真で紹介しています。写真として残ることは少ないのですが、写真のあるものは、随時、掲載する予定です。

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嗚呼、満蒙開拓団

船橋革新懇話会、通称「船橋革新懇」では、2月、5月、8月、12月に集会を開催しています。今年の8月集会では、「映画と公演の集い」を市内各所で開催。私は8月14日に行われた勤労市民センターでの上映と講演で、当日の司会を担当しました。

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講演は、映画にも出演されている、興安東京荏原開拓団として開拓村に渡った飯白栄助さんにお願いしました。飯白さんは、日本中国友好協会の常任理事、同千葉支部の理事長をされている方です。日本が国策として旧満州へ開拓団を送ったこと、その中には、全く農業経験のない商店街の店主達が「お国のため」に開拓村へ渡ったことなどが紹介されました。

貴重なお話しでしたが、十分な時間がとれなかったためにお話の途中で映画の上映に入りましたが、映画を観るには絶好の導入となりました。

映画自体、本当に素晴らしいもので「日本人なら一度は観ておくべき」と感じる内容でした。特に、戦争を経験したことがない、若い世代にとって貴重な記録だと思いました。
映画の中で、印象に残ったのは金丸クニ子さんのお話と、松田ちゑさんのエピソードです。

金丸クニ子さんは、開拓村からロシア軍に追われて方正(ほうまさ)へと避難する人々の様子を詳しくお話しされました。ロシア軍に見つからないように避難する中で、泣き叫ぶ子ども達を見殺しにしなければならなかったことや、日本兵と一緒になってので安全に避難できると思ったら「子どもを泣かすな」、「速く歩け」と責められたこと、避難先の方正で、寒さや食糧不足、病気によって次々と人が死んでいくことが話されました。お話しの最後に、「バタバタ死んでいったんです。いまだに沖縄の話しを聞くとにているし、薬害の話しを聞くと結局は誰も責任を取らない。国も責任を取ってくれない、守ってくれないのは同じことだなと思います。」との言葉があり、自らのことばかりでなく、国によって被害を受けている多くの人たちに関心を寄せる金丸さんは、素晴らしい方だと思いました。

松田ちゑさんは、方正地区日本人公墓を作るきっかけを作った方です。方正で亡くなった日本人の遺骨を拾い集めて、埋葬したいという願いを申し出ました。このお願いは、県政府から省政府を経て、最終的には当時の周恩来総理に届き、1963年に日本人公墓が建設されます。素晴らしいのは、彼女の願いが届いたのは日中が国交を回復する9年も前で、こうした取り組みが中国側から行われていたことです。周恩来の「祖国を見ることもなく逝った開拓民達も日本軍国主義の犠牲者である」との思想は、文化大革命下においても発揮されて、破壊されようとしていた日本人公墓も死刑宣告を受けた松田さんも助けることが出来ました。

映画を観終わって、しみじみ感じたのですが、日本という国が、アジアで2000万人にものぼる戦争被害者に対して、まともな対応が出来ないことと、開拓団のみなさんや関係各位にきちんとした対応がとれないことは、同じことが理由ではないかと。それは、「日本軍国主義の加害責任」という認識がない、ということです。
今、船橋市のある千葉県では、森田知事の下、愛国新教育や日本の引き起こした戦争を必要な戦争、正しい戦争だったとする歴史観が押しつけられようとしてます。でも、戦争が終わってから、まだ65年しかたっていません。戦争中に日本がどんなことをしてきたのか、国内・国外を問わず体験された方がまだ沢山いらっしゃいます。こうした押しつけをはねかえし、事実に基づく歴史を学び、韓国やアジアの国々のみなさんと歴史認識を同じくすることが、再び戦争を起こさないために必要だと思います。

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