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金沢和子の活動日記

  • 使えないトイレの写真です!!
    金沢和子の活動を写真で紹介しています。写真として残ることは少ないのですが、写真のあるものは、随時、掲載する予定です。

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ベネスエラ訪日代表団千葉県歓迎集会

私は、千葉県アジアアフリカラテンアメリカ連帯委員会(通称千葉県AALA)の会員で、常任理事をしています。先日、この連帯委員会の本部組織である日本AALAの呼びかけで、南米ベネズエラから市民の代表を招いて、参加型民主主義などの民主的な変革がすすむ国内情勢を話していただく機会を持ちました。

ジョニ・ニーニョさんの報告

 1992年当時のわが国の政治状況は、緊迫したもので、1989年2月27日カラカス虐殺が起きたばかりでした。事件は、国際通貨基金(IMF)が押し付けた条件にしたがって、民主行動党のカルロス・アンドレス・ペレス政権がガソリンを値上げしたことに抗議して国民が全国的な抗議活動行ったことから始まりました。するとペレス政権は軍隊に抗議活動を鎮圧するように命じて、軍隊によって約1万人の市民が虐殺されました。その事件はカラカス暴動と呼ばれています。

 軍部内部の不満は大きく、この虐殺、政府の腐敗、国内問題への軍の利用、一貫した国民への欺瞞、国の資源の米国への売り渡し、政府の経済運営における腐敗による労働価値の喪失によって、チャベス・パラシュート部隊司令官が率いる軍人たちは、政府の権力を掌握するためにクーデターを実行したのでした。この運動は失敗し、敗北しましたが、しかしチャベス司令官は、その有名な演説において、「この活動の責任は私にある。現在のところ失敗したことを認める」と述べました。チャベスは、ベネズエラ国民に脳裏に強く焼きつき、ベネズエラ国民を期待と楽観主義で満たしたのでした。

 しかし、こうした状況をよりよく理解するためには、簡単に歴史的に回顧してみる必要があります。まず第一に、メキシコは北米であるとともに南米の一部も構成していますので、メキシコも含めて述べますと、中米及びカリブ海の植民地は、1492年から建設され、大陸の北部は、主にイギリス、フランス、オランダによって植民地化されました。

 第二に、日本の面積の2倍にあたる65万平方キロの面積をもつ米国の13の植民地は、その後アメリカ合衆国を形成しますが、自由に貿易を行うとともに本国のイギリスに税金を納めないという経済的理由から独立のたたかいを行いました。またナポレオンによって追放されたスペインの国王フェルナンド7世は、自らの権利を維持しようとスペインの植民地の独立を認めない態度を取りました。スペイン植民地の住民は、植民地生まれの白人たち(クリオーリョ)が権力を獲得するために独立のたたかいを始めました。

 こうした相違点は、なんらかの形で、北米、中米、南米のひとびとの独立のたたかいに反映されました。北米の13の植民地は、1776年に、南米の植民地は1811年から1824年にかけて独立しました。

 ラテンアメリカの独立が進んだ当時、歴史的には、三つの政策がラテンアメリカに大きな影響を及ぼしました。

 ヨーロッパ諸国は、海外領土を維持するために、また失地を回復するために、ヨーロッパ諸国の君主の同盟を組織しました。それは、神聖同盟として知られています(1814年)。

 米国は、その政治的計画の中に、膨張を抱えており、モンロー主義政策を提唱しました。「米国のための米州」というその米国の主張は、米国の覇権をアメリカ大陸すべてに押し付けて、米州のすべての国の経済と政治を支配しようという政策でした(1823年)。

 ボリーバルは、ヨーロッパ諸国及び米国の野望から自分たちを防衛するためにラテンアメリカ諸国の団結政策を訴えました。ボリーバルがイギリス人に当てた書簡の次の言葉は、そのことをはっきりと述べています。

「米国は、自由の名においてラテンアメリカの諸国民に悲惨という疫病をばらまく神の摂理によって導かれているように思われる」(1824年)。

 最終的には、ベネズエラ、コロンビア、エクアドルの寡頭制支配層の代弁者の裏切りで、米国の政策は勝利し、1830年のボリーバルの死去のあとの歴代の政府は、国の利益を米国に売り渡し、ボリーバルの思想は忘れ去られました。

 米国の膨張主義政策は、彼らにとっては有効で、その領土は独立時の65万平方キロから現在は962万平方キロとなり、ラテンアメリカ諸国には180回以上も干渉し、経済をほとんど全面的に支配し、各国政府が米国に従属しなければならなくさせました。

 ベネズエラは、今日、ボリーバルの思想を発掘し、救っており、全国民のための教育、耕作するもののための土地、みんなの権利の平等という適切な政策でわが国内部の問題を変革しているだけではありません。さらに、ラテンアメリカ諸国の国民の団結を達成するために、すべてのラテンアメリカにおけるすべての人々の権利の平等を実現しようとしており、私たちすべての諸国民の利益にそった私たち独自の決定を達成しようと努力しています。

したがって、米国が傀儡政府の協力をえてラテンアメリカ諸国民に新自由主義政策にもとづく米州自由貿易圏(英語でFTAA、スペイン語でALCA)を押し付けようとしていることに反対するたたかいを行っているのです。米州自由貿易圏は、特に製品に輸入税を課さないように関税を廃止すること、労働条件の規制緩和、特許の尊重、主権の喪失を押し付けています。といいますのは、企業とのすべての紛争を国際裁判所に差しまわし、国内法の適用はこうした状況は適用できないとして、国内法はほとんど排除されているからです。

 今日、私たちは、これまでとは違った道を歩んでいます。そこでは、国際政治においてラテンアメリカ諸国民の間の連帯を基礎として「米州のためのボリーバル的対案」(スペイン語でALBA)が提起されています。その政策は、すでに世界を動かしているエネルギー、石油の場合においては適用されています。石油は、諸国民に、あるいは諸政府が開発に利用できるように、長期の信用で、暴利をむさぼることなく販売されています。

 ベネズエラ国内の例では、不平等問題を解決したり、これまで常に排除されてきた層が高い生産能力をもって社会に包摂されるように、かれらのために資源を利用する道を開いたりするためには、ただひとつ解決方法しかないとして、社会主義の建設に向かって踏み出されました。

 敵は、ベネズエラのブルジョワジーとともに、伝統的なクーデターや干渉という方法を使って執拗に攻撃してきました。ブルジョワジーは、自らの利益を守るため、米国とともに革命を失敗させようとしてあらゆる手段を駆使しました。2002年4月11日彼らはクーデターを組織し、2002年12月にはベネズエラ石油公社(PDVSA)のすべての手先とともに石油ストを行い、史上かってない危機を作り出しました。その危機で15億ドルの被害が出て、経済は都市も農村でもマヒしました。

しかし、国民はたたかいに勝利し、手先どもは国外に去り、ベネズエラ石油公社は国民の手に取り戻され、今日では国民に役立つものとなっています。その資源は、税金を納めるだけでなく、教育や医療を支援するものとなっています。

 現在において、こうした道は前人未到のものであり、政治的熱情を呼び起こしていますが、あらゆるルール、法律が尊重されなければなりません。私たちは、国家の構造を私たちの要求に合わせて調整しなければならない段階に到達しているのです。

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